川根茶のプロフィール

 川根茶のおこりは明らかではありませんが、仁治3年(1242年)に聖一国師が中国より茶の種子を持ち帰り、自分の郷里近く安倍川のほとり美和村足久保(現在の静岡市美和)にまき、その茶樹が次第に広まり、ここ付近でとれたお茶を本山茶といわれています。そして、ここから大井川上流にも伝わり、次第に中流にも伝わってきました。

 川根地域では、慶長7年(1602年)に旧・中川根村地名でお茶が租税として上納された記録があります。寛政年間(1789~1800年)には集団開墾(小澤林蔵)、文化年間(1804~1817年)に茶商を営む(久野脇の諸田新左衛門・瀬名の村松嘉蔵)、文政年間(1818~1829年)には仕上茶の製法研究(水川の中村藤五郎)。そして、天保8年(1837年)には、伊久身村(現在の島田市伊久美)の坂本藤吉が、宇治郷に行き製茶師又兵衛に宇治の煎茶製茶法を学び伝習を受け、この煎茶製茶法を郷土に広めたといわれています。それに明治になって、前山(現在の東藤川)の山本長右衛門および、その弟子たちによって更に研究が進められました。

 このように多くの先覚者の努力によって川根茶は次第に発達し、宇治茶・狭山茶と共に日本の三大銘茶として育て上げられてきました。
その後、藤川の故中村光四郎翁の手揉製茶法「川根揉切流」という独自の手揉製法が作り出され、川根茶の品質がさらに向上されてきました。近年になって、茶業経営の近代化・合理化も進み、製茶工場もコンピュータ制御という最新式の設備も採用され、研究も一段と進み上級川根茶も生産性を高めるようになってきました。